$ 大阪成田山不動尊
七五三の子供達が沢山いました。
大阪、今日は一段と寒くなりましたねw



紅葉した桜の落葉も吹きだまりに積もってきましたねw


境内にある畠山義豊の墓(応仁の乱)
足利義政の後継者問題、管領の畠山、斯波両家の家督争いから始まり11年にもおよんだ。
京の都は、焼け野原となり全国へ波及していった。1467年上御霊神社の森での戦いが発端となる。
西軍の山名宗全(東軍、細川勝元)が陣を構えた地が今も名前が残る「西陣」だそうです。
(ちなみに11月11日が「西陣の日」、今日TVで西陣織特集やってました)
応仁の乱(1467~1477)が終結した後も畠山氏の内紛は続いた。
畠山義豊は、1491年父の病没で跡を継ぐ。明応の政変が勃発し父の長年の政敵である畠山政長を自刃に追い込んだ。
これにより畠山家の家督と河内の守護職を一時的に手に入れたが、政長の子の畠山尚順の反撃に遭い、1499年に河内十七箇所で戦死された。 合掌


